日本史読み物②~織田信長に学ぶ歴史~
みなさんこんにちは!今回は誰もが知っている織田信長という人物像に迫ってみたいと思います。
・信長の印象
世間的に織田信長は歴史上の偉人として書かれていますが、何事にもとても厳しい人物であったと話されています。鳴かぬなら殺してしまえほとどぎす、という歌は聞き覚えがあることでしょう。
信長には比叡山の焼き討ちなど、数々の話が残されています。しかし信長は大変合理的な思想を持っており、しかもとても人間味のある一面を持った人物だったのです。今回は人間味のある一面と合理的な考え方を見ていきたいと思います。
1.実は他人に優しく、義理深かった。
信長は自身の妹が嫁いでいた浅井家や自分を殺そうとした弟を一度許しているという一面があります。また、幼少期を一緒に過ごした徳川家康に対してもただの同盟者とは思えないほどの待遇をしていたそうです。また謀反人に対しても寛大な処置を取った例も多くあります。特に室町幕府を擁護したときに関しては明らかに優しい対応をしています。
信長は室町幕府を滅ぼしていますが、実際には滅ぼすのではなく擁護していたとされます。しかし、将軍足利義昭は擁護した信長を甘く見ており、わがままに接していたようで、しまいには織田家を滅ぼそうと包囲網まで作り上げます。自分が擁護して助けた将軍に裏切られた信長ですが滅ぼしたときには足利義昭を殺さず、追放だけにとどめています。鎌倉幕府で14代、15代、16代執権とみな鎌倉幕府がほろんだ時に運命を共にしていることを考えるとやはり甘かったのではと思います。
しかし、完全に敵対した勢力に対しては完全に消滅させるまでの処置をとることが多いです。比叡山の焼き討ちがそれにあたりますし、他にも役に立たないと感じた家臣も追放したり、自分の親族でありながら裏切った浅井朝倉や武田家は滅ぼしています。
2.決断力がすごく、あまり人の話を聞かなかった。が、自身の過ちはすぐに認めた。
なんでも自分の目で見なければ気が済まないようで戦いの時も相手の陣形を大将自ら出ていったという話も残っています。納得いくまで自分の頭で考え、そして家臣の話をあまり聞かなかったと言います。これは想像ですが、なんでも自分の納得いくまで行動する性格だったのではと考えられます。
また、自身の過ちを認めたエピソードとして、大河ドラマ「黒田官兵衛」をご覧になった方もいるのではと思います。その中で官兵衛は信長の家臣の荒木村重の反乱の折、村重の説得に向かいますが、官兵衛は投獄されてしまいます。帰ってこない官兵衛を信長は裏切ったものと思い、官兵衛の息子で人質であった松寿丸(黒田長政)を処刑するように命じました。これを家臣の竹中半兵衛がかくまい、黒田長政は処刑されずに済みます。が、半兵衛の行った行為は普通に考えれば命令違反に当たります。後に官兵衛が裏切ったのではなく投獄されただけだと知ったとき、信長は官兵衛の息子を殺してしまったことを後悔します。しかし半兵衛が長政を助けていたことを知ると大いに喜び、命令違反に問わなかったそうです。
こういった人間味もある一面が織田信長の魅力でしょう。
3.常識にとらわれない知識
今でこそ、地球が丸いということは当たり前ですよね。でも当時の人たちは地球が丸いことを知りませんでした。信長は地球儀を見て地球が丸いということを知っていたそうです。周りの誰もが信じなくても。
また、楽市楽座という市場の税金を廃止したり、座をやめるなどの大きな改革も行いましたし、当時大勢力だった今川義元に対して勝利した桶狭間の戦いのように大きく日本を変えた人物でもあります。だからこそ今の世の中に織田信長、という名前が大きく残っているのです。あまり試験に出る内容ではないのですが、歴史上の人物のこういった側面を知るのもまた楽しいことですよ。
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