後鳥羽院と短歌
今回は後鳥羽院の歌を紹介します。
ひともおし ひともうらめし あじきなく
よをおもふゆゑに ものおもふみは
後鳥羽院は安徳天皇の弟で、その安徳天皇は源平合戦の際に入水してしまいます。後鳥羽院本人は源氏に怒りを持っていたことでしょう。1221年の承久の乱を起こした人物、といえば後鳥羽院で後世にも語り継がれています。この歌は承久の乱のよりも前に読まれたとされており、さらに後鳥羽院は藤原定家に新古今和歌集の編纂を命じるなど和歌の発展にかなり熱心でした。
そんな後鳥羽院も武士の世の中になっていくことへのどうしようもない思いをつのらせてこの歌を読んだのでしょうか。
大江山
こんにちは。
今回もまた百人一首の紹介を行います。
今回は短歌から紹介いたします。
大江山 いくののみちも 遠ければ
まだふみもみず あまのはしだて
これは和泉式部の娘、小式部内侍が作った短歌です。この短歌を作る時、有名な和泉式部の娘である小式部内侍は歌会の最中に母親なしで短歌を作れるのかと馬鹿にされてしまいます。その際に作った短歌がこちらでした。
行く野の道→生野(母親の元へ行くために通る地名)の道
まだ文も見ず→まだ踏みもみず
と見事な掛詞が使われています。この掛詞を使うことで自分が母親の元へ行っていないことも、手紙も見ていないことも示しながら短歌を作り上げました。
こうした機転の利く才能、素晴らしいものですね。味わい深い一首でした。