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10月1日/パーソナル学習会/阪神西宮教室/西宮市
10月1日、多くの会社は内定式を迎える。内定式に向かう学生のほとんどは同じ髪型、同じ服装、同じ黒のカバンとそれは奇妙な集団であった、とSNSを通してだが、様々にそう口にされている。個性は一体どこに行ってしまったのだろうか。
そして近年、「~をさせて頂いてます、~です。」というさせられてるんかい!じゃあせんでいいわ。というやる気のないツッコミ待ちの自己紹介もよく見られるようになった。
私は理系で国語には明るくないので、気になって調べてみたら、やはり誤用だ。 させられてやる気が無いならしないていいよ。としか感じられない。しかし近年、こうした表現は数多く見られ、やる気の無さ、させられてる感は非常に多く感じる。
ただ言われた事だけをやって、それが仕事だとストレスを溜めて、そして飲みに行き、これが仕事だ、美学だと言われていることもある。本来、仕事は自分自身の人生を彩る手段だと言う話を聞いた事があり、これは強く共感できる。私自身もそう思う。守破離が大切だから、最初は言われていることを素直に聞いているだけでいい、ということは無いと思っている。それこそ上司が考えた「やりやすい部下」なだけであって、何一つ成長に繋がらない。今の世の中で、自分が社会において、スキルアップをして行きたいのなら、素直に黙って聞くだけでは無くて、なぜそうするのかを考えて欲しいと強く感じている。私は部下にはそう考えて欲しいとは思わないし、なんなら言ったことに対して逐一疑問を持って欲しい。そうじゃないと責任感なんて育たない。
私は塾の教室長、という立場上、入社の1年目から講師という部下がつくことになる。そうした教育を出来ているかどうかは全く分からない。私は働く、ということを時間をお金と人生の彩りに変えていると考えている。私だけでなく、自分の部下になった講師や社員も同じである。お金をもらって働かせて頂いている、という考え方も間違いでは無いと思うが、今くらい働き先がたくさん選べる世の中で、自分達と働いてくれる、というだけで私は嬉しく感じている。頑張ってくれていたら、この上なく嬉しい。みなが努力して、それぞれが自分の至高を作る教室にしたい、と3年間切に願い続けてきた。
この3年間、様々なことがあり、様々に思うことがあった。全く納得の行かないことは形だけやって、こうするべきだ、ということを実践してきたつもりである。そうしたことは責任感もあるから例外なくうまくいった。納得しないことは納得しないだけの大きな理由があるからだ。何も頭ごなしに反抗しよう、というわけではない。そして困難は何だかんだで乗り越えてきた。
仕事は人の主観でするものだから、それを報告すれば報告の受けた側の主観1つで大きく捉えられかたも変わるものなのだ。そんな認識のズレに付き合っている暇はない。この3年間、大きく学んだことの一つである。自分の感動体験や仕事に対する想い、というものは中々人には伝わらないのである。
そしてそれは自分自身にも応用できる。私もこれはダメだろう、と自身の主観だけで何も考えず、頭ごなしに叱ることも増えている。上に立つもの、というのは自身の主観だけで物事の善悪を判断し、悪だと思えばそれは悪だと話す。少なからず、私も講師の上に立つ人間なのだから、そうした自分勝手な善悪のフィードバックを少なからずやっている。しかも私はそれを正義だと思ってやまない。私自身も人はこうあるべきだ、と勝手な人格像を作り出して自身の主観という色眼鏡で物事を判断する。
教育というものは本当に難しい。自分と相手は別人なのだから、自分の主観を押し付けるだけでは相手をただ批判するだけに相当する。批判は教育とは違う。こうではないだろうか、というものを考えることは出来たが、未だに実践することは出来ていない。
ただ1つ、私は色々な人にもっと考え、人生を彩り深くして欲しい、と切に願っている。私自身も学ぶことや考えることを辞めず、今後とも歩みを進めていこうと思う。
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