受験の時の心構え
こんにちは。
年が明けたらもう中学受験、センター試験、そして私学の試験とこれから試験のシーズン真っただ中になりますね。
今回は私自身がいただいた言葉を紹介します。つい10年前、私が高3の時の話です。センター試験で国公立大学の合否が大きく左右されることで失敗は出来ないとプレッシャーに押されていました。(当時、ストレスからかどうかわかりませんが、水道や戸締りを夜中に何回も何回も確認してしまうほど・・・。受験後に治りました。いい思い出ですね!)
さて、センター試験は1度しか受けられません。国公立大学を受ける人ならなおさら、失敗は出来ません。そんな折に担任の先生にいただいた言葉を紹介します。
それが「失敗は周りの誰もしている。」ということでした。センター試験は1科目ではありません。満点ばかりで無ければわからない問題が出るのも当たり前。焦ってはいけない。ということです。
私はセンター試験本番、数Ⅰで点の打ち間違いをしてしまい、次の数Ⅱでゆっくり解きすぎて時間切れになる事態を起こしました。もう、次の科目はとてもじゃないけれど普通の精神で受けられない。というときに思い出したのが担任の言葉です。確かに大きなミスをしました。が、周りのみんなが全科目パーフェクトに全力で出せているだろうかと考えると、私自身もどこかしらかの問題で上振れがあったはずだとプラスにとらえられるようになりました。残りの科目はしっかりと受けることができたのです。
今回は私の体験談、頂いた言葉なのでもしかたら応用できないかもしれません。が、もし参考になるのならば幸いでございます。みなさんの受験の成功をお祈りしております。よいお年を迎えてください。
よき宿題
こんにちは。久しぶりの記事となります。
今回は塾の先生や、あるいは保護者様に向けて宿題のあり方や立ち位置をご紹介しようと思います。ご参考になれば幸いでございます。
最も大切なことは必要な量をきちんとこなすことです。例えば10をやらなければならないのに5しか出さない。そういうことでは全く意味がありません。宿題は生徒の力でこなせる適量を考える必要があります。出し方は様々ありますが今回はポイントを出す時に考えるポイントを3点ご紹介します。
1、達成感があり、作業にならないもの。
家庭学習に当たる宿題はこちらのアドバイスが出せません。応用が過ぎると全く解けずに達成感の無いものになったり、答えを写したりしてしまう元になります。反対に基礎が過ぎると退屈で作業になり、それこそ適当にやられて終わり。となってしまいます。基本は応用を出すのですが解けそうなものを選びましょう。
2、多めに出す。
関係性を築けるかなりの良策です。もし6ページの宿題を出したいなら私は10ページを提案します。生徒は多いと言うでしょう。そこで相手に削って6ページあたりを狙います。
こうすると宿題を出したのが生徒になります。決めてもらったことで責任感が増えることでしょう。
3、変化をつける
宿題をやって褒められもせず、当然だと言われ何も無い。では人は動きません。宿題を労働と一緒にしたくはないのですが自分の中学生の時を思い出せば宿題は労働のように感じていたものです。労働には対価が必要です。また、部活などがあまりに忙しい、そういうのをある程度考慮してあげて宿題の量に変化を付けると少ない時に喜びを感じてもらえます。
対価ですが、20分だけ学校の宿題をこっそり許可する、雑談をしていっぱいほめる、お菓子を渡すなど対価の支払いはたくさんありますが、この対価が次のやる気と学習に繋がります。こっそり宿題なんて…と思われるかもしれませんが、後のやる気を買える意味のある20分です。また、秘密の共有という信頼関係を築く上で大切な要素も含まれます。
対価なしに宿題を出すのは給料無しで働かせるものだと感じているほどです。もちろん生徒のために宿題を出すのですが生徒からしたらたまったものではありません。生徒の立場、子供の気持ちを考えてみると、意外なやり方が潜んでいるのかもしれませんね!
日本史読み物③~山本五十六の名言~
こんにちは!打出教室の日本史も第3回を迎えました。
今回は山本五十六という人物に焦点を当てて、教育について考えていきたいと思います。
まず、山本五十六について説明します。
彼は第二次世界大戦時代の軍人でした。特に視点に優れており、当時では珍しく、日本と世界の技術力などの違いを知っており、アメリカとの戦争を反対した人でした。結局日本は開戦し、五十六は戦争の途中で戦死してしまいます。彼は有名な言葉をたくさん残しております。その言葉を紹介します。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
名言好きな人はお目にされたこともあるかもしれません。私自身も教訓としている言葉です。
生徒のみなさんにお伝えしたいのは、言われたことだけをやっていると育たない、伸びない、ということです。育ちたい、伸ばしたいと思うのなら、自分の頭でしっかりと考えて欲しいのです。宿題、問題集、それらをただいわれるがまま解いているだけになっていませんか。解いた後、しっかり自分の頭で考えて解き直しをしないと育たないし、伸びないのです。
そして、これは我々塾の先生にも言えることだと感じています。我々は生徒本人に考えもらうことを第一に考えていますが、違う解き方をしているときに、それは違うとすぐに答えだけを言ってしまうこともあります。まずは上の言葉を胸に刻み、やってみてもらって、間違えたところを相談してもらえるような個別指導を目指しています。
ぜひ山本五十六の言葉を味わってください!
家庭学習のコツなども説明させていただきます!お子様の成績を全力でサポートさせていただきます、パーソナル学習会打出教室をのぞきに来て下さい。
お問い合わせはこちら
パーソナル学習会打出教室
0798-26-2360
4月、入会大型キャンペーンやります!
こんにちは!
4月限定、春の入塾キャンペーンを開催いたします。
ただいまご入会されますと
①入会金無料
②5月授業料半額
③テスト前授業3回無料
がなんとすべて受けられるというキャンペーンを開催しております。ぜひこの機会にお問い合わせ下さいませ。
パーソナル学習会打出教室
TEL:0798-26-2360
日本史読み物②~織田信長に学ぶ歴史~
みなさんこんにちは!今回は誰もが知っている織田信長という人物像に迫ってみたいと思います。
・信長の印象
世間的に織田信長は歴史上の偉人として書かれていますが、何事にもとても厳しい人物であったと話されています。鳴かぬなら殺してしまえほとどぎす、という歌は聞き覚えがあることでしょう。
信長には比叡山の焼き討ちなど、数々の話が残されています。しかし信長は大変合理的な思想を持っており、しかもとても人間味のある一面を持った人物だったのです。今回は人間味のある一面と合理的な考え方を見ていきたいと思います。
1.実は他人に優しく、義理深かった。
信長は自身の妹が嫁いでいた浅井家や自分を殺そうとした弟を一度許しているという一面があります。また、幼少期を一緒に過ごした徳川家康に対してもただの同盟者とは思えないほどの待遇をしていたそうです。また謀反人に対しても寛大な処置を取った例も多くあります。特に室町幕府を擁護したときに関しては明らかに優しい対応をしています。
信長は室町幕府を滅ぼしていますが、実際には滅ぼすのではなく擁護していたとされます。しかし、将軍足利義昭は擁護した信長を甘く見ており、わがままに接していたようで、しまいには織田家を滅ぼそうと包囲網まで作り上げます。自分が擁護して助けた将軍に裏切られた信長ですが滅ぼしたときには足利義昭を殺さず、追放だけにとどめています。鎌倉幕府で14代、15代、16代執権とみな鎌倉幕府がほろんだ時に運命を共にしていることを考えるとやはり甘かったのではと思います。
しかし、完全に敵対した勢力に対しては完全に消滅させるまでの処置をとることが多いです。比叡山の焼き討ちがそれにあたりますし、他にも役に立たないと感じた家臣も追放したり、自分の親族でありながら裏切った浅井朝倉や武田家は滅ぼしています。
2.決断力がすごく、あまり人の話を聞かなかった。が、自身の過ちはすぐに認めた。
なんでも自分の目で見なければ気が済まないようで戦いの時も相手の陣形を大将自ら出ていったという話も残っています。納得いくまで自分の頭で考え、そして家臣の話をあまり聞かなかったと言います。これは想像ですが、なんでも自分の納得いくまで行動する性格だったのではと考えられます。
また、自身の過ちを認めたエピソードとして、大河ドラマ「黒田官兵衛」をご覧になった方もいるのではと思います。その中で官兵衛は信長の家臣の荒木村重の反乱の折、村重の説得に向かいますが、官兵衛は投獄されてしまいます。帰ってこない官兵衛を信長は裏切ったものと思い、官兵衛の息子で人質であった松寿丸(黒田長政)を処刑するように命じました。これを家臣の竹中半兵衛がかくまい、黒田長政は処刑されずに済みます。が、半兵衛の行った行為は普通に考えれば命令違反に当たります。後に官兵衛が裏切ったのではなく投獄されただけだと知ったとき、信長は官兵衛の息子を殺してしまったことを後悔します。しかし半兵衛が長政を助けていたことを知ると大いに喜び、命令違反に問わなかったそうです。
こういった人間味もある一面が織田信長の魅力でしょう。
3.常識にとらわれない知識
今でこそ、地球が丸いということは当たり前ですよね。でも当時の人たちは地球が丸いことを知りませんでした。信長は地球儀を見て地球が丸いということを知っていたそうです。周りの誰もが信じなくても。
また、楽市楽座という市場の税金を廃止したり、座をやめるなどの大きな改革も行いましたし、当時大勢力だった今川義元に対して勝利した桶狭間の戦いのように大きく日本を変えた人物でもあります。だからこそ今の世の中に織田信長、という名前が大きく残っているのです。あまり試験に出る内容ではないのですが、歴史上の人物のこういった側面を知るのもまた楽しいことですよ。
家庭学習のコツなども説明させていただきます!お子様の成績を全力でサポートさせていただきます、パーソナル学習会打出教室をのぞきに来て下さい。
お問い合わせはこちら
パーソナル学習会打出教室
0798-26-2360