芦屋市打出教室ブログ


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11月 25, 2019

立場と考え方の違いで学びを得たこと/パーソナル学習会/打出教室/芦屋市

今回は社会人の定義について考えます。

とはいえ、社会人という言葉には定義はありません。基本的には使い手が都合のいいように解釈し、それを使い回します。

もちろん、私にも社会人像、というものがあります。自らが考えて、自身で責任を持って行動するのが社会人、だと考えています。
では、その私が勝手に決めた社会人像が、客観的な視点で一般的な社会人像とあっているのか、確認しましょう。

まず、社会人は定義されていません。
学生では無くなった人、という解釈をされることがありますが、それでは学生が終わった後、フリーターをしながらいわゆる会社勤めをしていない人は社会人でしょうか?私も学生が終わってすぐ就活をしなかったので就職までの期間は社会人ではなかったのでしょうか?
ちゃんとした人、稼ぎがある人、何を持って社会人、と呼ぶのか、定義が無いと考えます。
そして、自身が最も都合のよいタイミングで社会人、という言葉を使用します。私も大人やから、成人やから、もう小学生じゃないんだ、と毎度毎度都合よく使います。都合がいいな、と思うかもしれませんが、言葉とはそういうものです。いわゆる社会人像は間違っていないようにも感じます。

さて、昨今先輩と話をした時にある本に書いてある言葉を紹介して頂きました。仕事は群れてしたい人とそうでない人がいる、という話をもらいました。私はかなり1人で仕事をしたい派で、他人の進捗を気にして、業務を不必要なことまで報告する手間が煩わしく、また他人と価値観を共有するのが嫌だからこそ1人でしたいと考えています。

実際、ここ最近で私が全体に対する報告が良くない、という話が挙がりました。私は報告の際は良いことも悪いことも分かるようにします。他人がそれを見た時に私の失敗から学んで欲しいと思いますし、私の成功は全体の士気に関わるからですね。
ただ、人によっては失敗を見ることでこの人もこうなら大丈夫だ、と考えてしまう人もいる、という注意を受けたのでした。正直、子供でもそんなことは思わないだろう、とその時は理解に苦しみましたし、集団の価値観とはそんなものだと考えていました。しかし、それをまた全く別の先輩に、実際に本当にそう考える人もいるかもしれないから集団を収める人の耳にはよく聞こえない、とアドバイスをもらいました。
そう言われて見れば非常に納得です。学んで欲しい、と言うのは私が持つ社会人像が少し高いのかもしれません。性善説を取りすぎているのかもしれませんね。1つ、大きな学びを得ました。どの範囲が最も良いとされるか、またどこまで空気を読めばストレスにならないか、これを学び考えることもまた楽しいものです。

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