尼崎市立花教室ブログ


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10月 13, 2019

常識にとらわれない思考の楽しさ/アップ学習会/立花教室/尼崎市

スーツについて色々と考えることがあったのでぜひ共有したいと思う。

つい最近のこと、会議の時にちょうどスーツの上着を忘れてしまい、そのまま会議に臨んだ日のことであった。終わってから、上着を着るように強要されたのである。これが考え方や文化の違いを感じて非常に面白く感じた。

私が会議の時に上着を着る理由は単に上着を着ていると無難であるから、という理由であり、当日はまだ10月とはいえ上着を着ていくような気候で無かったから、うっかり忘れてしまったのである。対して、注意をした側の上司は会議に上着を着るのが本人の中での常識であり、私が上着を着ていないことに対して違和感を感じたに違いない。私一人が上着を来ていなければ私の服装は非常に浮いたものになっただろうが 、上着を着ている人の少なさにもまた考えさせられた。全員が集まる会議、というものをどれくらい重く捉えているかがよく見えるからである。

私は夏場は単に見るからに暑苦しいし、TPOをわきまえられない人だと思われたくないから、教室で上着を着ることはまずない。しかし、人によっては人前に出るのだから上着を着用するのが常識だと考える人もいる。どちらの考えも何一つ間違っていない。確かに強要するのは間違っているが、こうした多様な考え方というのは必要なことなのである。

以前、内定式の時に10月の頭でまだ暑さが残る中に関わらず、暑苦しそうにスーツを着て同じ服装、同じような髪型をした学生をたくさん見かけた。もっと考えられる人になって欲しい、と考えるが、私が8年前の、22歳で同じ場面に遭遇した時に、上着を着ずに内定式に臨むことが出来ただろうか?おそらく答えはNOだろう。変わった服を着ていくこと自体がリスクであり、無駄なリスクを冒すものでないと考えたと思う。これは社会人の経験がそう考えさせたのである。私は最初に内定式を経ずに会社への就職をしたため、こうした儀礼的なものへの意識が特別低いのかもしれない。これもまた、考えておく点でもある。そして今回上着を忘れるほど意識が下がったのは単にまた同調意識が下がったからに他ならない。

私は単に忘れたから、という理由で上着を着なかったので、忘れさえしなければあの暑い中、意味もなく上着を着て会議に出ただろう。何の疑問も持たずに上着を着た方が無難だ、当たり障りがない、というただそれだけの理由である。忘れたのは単に全員が真っ黒の服装で会議をしているからでは無いから同調意識が下がったのであろう。今の時代、そういうものなのである。ただ、私も仕方なく同調しておこうか、という理由でそこで思考を辞めてしまった。働く上で考えることはとても大切なことだが、単なる無意味な同調文化で思考を停止させたことは私自身、反省しなくてはならない。SNSの発達により、少しずつ働き方や日本人の考え方は変わってきている。とはいえ無意味に強要されたことの反抗もすべきでないと考えている。別段、どちらが正解なのか分からないだけで、間違えたことを強要されたとは思っていないからだ。

場面場面でストレスに感じることもあるだろうが、そのような場面にこそ、考えるべき種というのは埋まっているのである。なぜ相手がそう考えるのか、相手の常識と自分の常識の乖離は何か、そしてなぜ相手はそうしたことを強要するのか、たくさん考えて成長に繋げたいものである。しっかり考えられる人になるべきだ、とその一件からたくさん考えることが出来た。

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