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南北朝時代 | 松原教室
こんにちは!松原教室です!
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
今回の記事では、中学社会科歴史的分野の「南北朝時代」について解説します。
南北朝時代とは、1337年から1392年にかけて京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並び立った時代のことをいいます。
1333年に後醍醐天皇や足利尊氏、新田義貞らにより鎌倉幕府が倒されました。後醍醐天皇は、鎌倉幕府の政治に代わる新たな政治として「建武の新政」を行いました。しかし、この建武の新政は、公家を優遇する政策が多く武士たちの不満を招いたほか、鎌倉幕府崩壊後の混乱を収拾しきれず、足利尊氏が後醍醐天皇から離反したことによりわずか2年で崩壊しました。
後醍醐天皇と対立することになった足利尊氏は、後醍醐天皇側の武士を破ると、京都に光明天皇という新しい天皇を擁立しました。さらに室町幕府を開いて政治の実権を握りますが、後醍醐天皇は密かに京都を脱出して奈良の吉野へ逃げて南朝を開きました。これにより、京都の北朝と吉野の南朝の2つの朝廷が並び立つことになり、天皇が同時に2人いるという分裂状態に陥りました。
なお、天皇が即位する際には「三種の神器」という3種類の宝物が継承され、これらの宝物は皇室の正統たる帝であることの証となります。後醍醐天皇は、北朝に「三種の神器」を渡していましたが、吉野に逃げたあとに渡したものは偽物であり、自身の皇位の正統性を主張する根拠となりました。
その後、南北朝の対立は各地の武士たちを巻き込みながら、およそ50年に渡って続きました。しかし、徐々に南朝側が衰退していくと、1392年に室町幕府の3代目将軍の足利義満により南北朝合一が果たされ、南北朝時代は終結しました。
<まとめ>
・南北朝時代は、建武の新政の崩壊後からおよそ半世紀に渡って朝廷が分裂していた時代のことをいいます。
・1392年に、室町幕府第3代将軍の足利義満によって南北朝合一が果たされました。
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