西宮市鳴尾教室ブログ


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02月 12, 2018

光孝天皇と短歌

こんにちは。

今回は光孝天皇について紹介します。

 

光孝天皇という人物をご存知でしょうか?彼は平安時代の天皇で、天皇になるまでにかなりの年数、いろいろな苦労があって天皇になった人物です。彼の兄、文徳天皇が3代前、文徳天皇の子、清和源氏の祖先でもある清和天皇が2代前、そして清和天皇の子、陽成天皇が1代前の天皇にあたります。(陽成天皇、実は陽成院という名前で百人一首にも出てきていますよ!)

清和天皇や陽成天皇が幼くして天皇になる中、光孝天皇はなかなか天皇になれませんでした。

藤原良房は承和の変で藤原氏の政権を確立させていき、文徳天皇や清和天皇を早くに立太子させていきます。

そんな光孝天皇に機転が訪れたのは清和天皇の後を継いだ陽成天皇にありました。文徳天皇や清和天皇は早くに亡くなっており、幼くして後を継いだ陽成天皇は様々な事情で藤原基経によって天皇を変えられることとなりました。そこで白羽の矢が立ったのが光孝天皇。50を過ぎて天皇に即位するのは当時では珍しいことでした。光孝天皇は天皇になってからも自分が不遇だったころを忘れないよう、自炊をおこない、すすけた部屋をあえてそのままにしたという話も残っています。

とても風流で優秀だった言われる光孝天皇ですが、即位してわずか3年で亡くなってしまいます。

そんな光孝天皇の和歌がこちらです。

 

君がため 春の野に出でて わかなつむ

わがころもでに ゆきはふりつつ

 

あなたのために春の野に出て若菜を摘んでいたら、私の袖に雪が降っていますよ。

 

といった内容のものです。風流、そして苦労の絶えなかったと推測される彼ですが、彼の子孫がまた、新しい時代を作っていくこととなりました。

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