西宮市鳴尾教室ブログ

04月 16, 2018

土御門天皇と承久の乱

こんにちは。

今回は承久の乱と土御門天皇という方に触れていきます。

恒例の短歌は土御門天皇の弟、順徳院の短歌をご紹介します。

 

ももしきや ふるきのきばに しのぶにも

なほあまりある むかしなりけり

 

1221年、後鳥羽上皇とその息子、順徳上皇は幕府に対して反乱を起こします。世にいう承久の乱です。その前、後鳥羽上皇の息子にあたる土御門上皇は父親と性格が合わないなどの理由で弟の順徳上皇へと譲位させられていました。土御門天皇は承久の乱に加担していなかったようですが、なんとこの土御門上皇、父親と弟が承久の乱での罪に問われた時に彼自身も島流しにするように申し出たとのことです。

時は流れて、土御門天皇の息子、後嵯峨天皇は後鳥羽上皇の血筋に当たりますが、こうした流れがあってか天皇になることが出来ました。

様々な思惑があってのことでしょう。が、その思惑を色々と想像するのも日本史の味わい方の一つです。

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