西宮市鳴尾教室ブログ

01月 26, 2018

順徳院の短歌

こんにちは。今回は百人一首の中でも100番目、最後の短歌にあたる、順徳院の短歌をご紹介します。

 

ももしきや ふるきのきばの しのぶにも

なほあまりある むかしなりけり

 

順徳院は有名な後鳥羽院(後鳥羽上皇)の息子にあたります。彼らは鎌倉幕府と敵対していました。特に後鳥羽上皇においては源平合戦の時の平家滅亡の時に兄を殺され、さらにはこわい思いをしていたことでしょう。順徳院はそんな後鳥羽上皇の息子であり、兄である土御門天皇の後を継いで、天皇となりました。1221年、承久の乱を起こし、後鳥羽院と順徳院の軍は敗北してしまいます。彼らは天皇家の人間で優雅な生活を送るはずでした。しかし、世の中は鎌倉幕府の時代になってしまい、武士の世の中となってしまいます。

百人一首は一部、鎌倉右大臣(源実朝)のような例外はありますが、基本的には貴族の短歌を収録しています。順徳院の歌はちょうど貴族の時代が終わってしまったことを示唆するような短歌です。百人一首の撰者である藤原定家の寿命もあるのですが、ちょうどここで百人一首は終わります。

貴族の世の中から、武士の世の中に、当時の人々は何を思ったのでしょうか。今の世の中も人間からロボットへ世の中へ変わりつつあろうとしています。どの時代も移り変わって行くものなのかと感じます。

01月 15, 2018

清少納言と百人一首

こんにちは。今回は清少納言の短歌に触れていきましょう。

 

62番 清少納言

よをこめて とりのそらねは はかるとも

よにあふさかの せきはゆるさじ

 

清少納言といえば枕草子の作者でとても才女である印象を受けます。どちらかと言うと大人しい性格ではなかったようです。また、中宮定子が本当に好きだったのではないのかな、と想像します。また、清少納言を清少、納言と考えている人が多いのですが、清少納言は清、少納言です。清は実家の苗字の清原だと考えられていますが、なせ少納言なのかは分かっていないみたいです。

歌はとてもよく出来ており、一度帰ってまた入ろうとした人に対して、真夜中に鳥の空音(鶏の鳴き真似でしょうか)をしても世に名高い関所は通してはくれない、ということです。掛詞も使われており、特に会うと逢う坂の掛詞が見事です。

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